これが「罪」の状態なのでは…(10/16)

これが「」の状態なのでは…
とは言え、どうしたら良いのか

ヨハネ受講中の30代男性

私は10数年前、塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読み西洋の歴史・文化に興味を持つようになり、西洋について知るには「聖書」を読まなくては、と考えて新共同訳聖書を購入、数年かけて通読しました。それは「信仰」ではなく「読書」であり世界の名著・古典を読む感覚でした。しかしながら、心のどこかで「この教えを信じてみたい、心の拠り所としたい」という思いが生まれたことも事実です。どうしたらよいかと探し求める中でFEBCに出会うことができました。

ヨハネ3章15節の「永遠の命」ですが、私にはそれは価値あるものとは思えませんでした。私は自分自身があまり好きではありません。こんな己が不老不死になったところで一体それが何になるのかと。しかし、「新たにに生まれなければ、神の国を見ることはできない」こと、信じることで「自分中心から神中心へ」生まれ変わることが出来ると知りました。思えば私は自己を嫌悪しながらも自分が自分のままで幸せになりたいと望んでいます。全ての出発点は「我」であり、これが「罪」の状態なのではないだろうかと感じました。とは言え、どうしたら良いのでしょうか。「イエス様は私の罪の贖いの為に十字架にかかられた」というものが実感できません。

(16日)

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