ゲスト沢知恵氏より
コーヒーブレイク・インタビュー
沢知恵氏(シンガーソングライター、「コモエスタ」代表)
沢さん●私は生後六ヶ月の赤ちゃんの時から、瀬戸内海の離島にある大島青松園というハンセン病の療養所に関わってるんです。牧師である父が神学校時代に訪れて、療養所の方々と仲良くなったので、生まれたばかりの私をそこへ連れて行ったんです。1971年でしたから、ハンセン病は治る病気だとわかっていたんですが、当時は赤ちゃんを連れて行くなんて考えられない、子供も入ってはいけないと言われていた時代でした。でも父は周りの反対を振り切って私を連れて行ったんです。
島の人たちはびっくりしてね、桟橋に大集合して。父が「どうぞ抱いて下さい」と私を差し出しても、誰一人抱こうとしなかったそうです。自分は治っているとわかっていても、子供に触れてはいけないと長年刷り込まれているから、怖いんですよね。私は何も覚えていないのですが、島の人たちはずっと覚えていて下さって。父が亡くなってから20数年振りに訪れた時、「知恵ちゃん!大きくなったね!」って皆さん泣きながら歓迎して下さったんです。それ以来、私は大島青松園を故郷と思うようになりました。
入所している方々は、本当につらい経験をされてきたと思うんですけれど、お会いするととても明るくて、「生きてることは感謝なことなんだよ」とおっしゃるんです。でも、段々高齢化で人数も減ってきて、ついに「知恵ちゃん、寂しい」って言われて、何か私にできることはないだろうかと考えて、岡山に引っ越すことに決めたんです。どの療養所にもいろいろな宗教施設があるのですが、ここに来なければキリストと出会わなかったという方もいらっしゃいます。丘の上の教会は101年の歴史があるのですが、実は2年前に閉じたんです。約200名の方が信仰を得て旅立たれていったわけで、本当に良い礼拝だったんですよ。