FEBC特別番組「神に向かって歌え、私の心よ
―日本基督教団代田教会Jazzによる夕礼拝より」より
平野克己氏(日本基督教団代田教会牧師)ほか
〈聖書〉 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。…」イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。…だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」…
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
(ヨハネによる福音書3章1~9、16節)
礼拝、それは歌を歌うこと。
神に向かって歌を歌うことです。
歌いながら、私たちは待つ。
なにかが起ころうとしている。
悲しみや憎しみ、争い、嘘、不正、もう私たちがうんざりしている世界が続くのではない。
聖書は、約束をします。新しい光が、次第次第に近づいてくると。そして、私たちは、新しい歌を歌うことを心から求めています。
「わが心よ、神に向かって歌おう!」