「福音主義教会の建設へ」徳善義和氏

「改革というのは我々人間がするのではない」マルチン・ルターの生涯と信仰・第6回「福音主義教会の建設へ」徳善義和氏

第6回「福音主義教会の建設へ」より
マルチン・ルターの生涯と信仰・

徳善義和氏(ルーテル学院大学名誉教授)

〈1521年、ウォルムス喚問においてマルチン・ルターは、自分の考えを撤回しないと証言し、事実上の国外追放処分となる。その時、ザクセン選帝侯(フリードリヒ3世)が策を講じ、自身の居城であるヴァルトブルクの城塞にかくまった。そこで約9ヶ月の間、ルターは新約聖書のドイツ語翻訳など、著作活動に精力的に取り組んだ。〉

ルター、山をりる
—混乱の町ヴィッテンベルクへ

ヴァルトブルクの山上の城にいたマルチン・ルターは、保護してくれるザクセン選帝侯の意思に背いて山を下りますが、その時に選帝侯宛に丁寧な手紙を書いています。『剣は知恵を与えてはくれませんし、助けにもならないのです。人間のあらゆる思い煩いや付け足しなぞ抜きで、神お一人がここで事を成就なさるのであります…』と。
中世末封建時代の、大学の平教授から殿下宛ての手紙と考えれば、随分大胆にはっきりものを言っているようにも思います。マルチン・ルターは、『イエス・キリストのみが私の守り、私の救い』という信念に従って、自分の命がどういうことになるかわからないヴィッテンベルクの町に向かって、自分の宗教改革の使命を果たすために敢えて山を下りていったと言ってよいと思います。