「幸いな人として生きよう」伽賀由氏

「幸いな人として生きよう」たとえ、言葉にならなくても―主日の説教から・伽賀由氏(日本メノナイトキリスト教会協議会日本メノナイト帯広キリスト教会牧師)

「幸いな人として生きよう」より
たとえ、言葉にならなくても―主日の説教から

伽賀 由氏(日本メノナイトキリスト教会協議会日本メノナイト帯広キリスト教会牧師)

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「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
マタイによる福音書5章3−12節

悲しみとき合えない私たち

御言葉を読む時に、「よく知っている」「分かっている」と思うような御言葉であったとしても、人生における苦悩や苦難を経験する中で、それが深く自分の中に染み渡ってくるということが起こってきます。今朝私たちに与えられている御言葉は、本当に馴染み深い御言葉です。けれども、今回私は、この山上の説教の3~10節を読んだ時に、「私は心の奥底で悲しみを知っているだろうか」と思わされました。