「人間のクズだと思った私に」浅原一泰氏(1/1)

「人間のクズだと思った私に」この地で牧師として生きる—今あるはただ神の恵み—・浅原一泰氏

「この地で牧師として生きる—今あるはただ神の恵み—」
浅原一泰師(日本基督教団・高幡教会牧師)

私は幼少期から「人生は全て努力次第、勝たなければ意味がない」との価値観を持ち、学校で聖書の授業を受けながらも、こんなものに頼ったら終りだと思っていました。

そんな20歳の頃、突然私は大きな交通事故に遭い、ひと月意識を失いました。幸い障害は残りませんでしたが、大学では遅れを取り、就職後も自分の無力さを認めざるを得なくなっていました。人に勝てない自分は死んでいた方がよかったのではないか。生きる資格があるのか。自分で自分を許せませんでした。
そんな時、私は何故か聖書を開き、「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します」の言葉と出会い、抵抗していたキリスト教に初めて心を惹かれました。

様々なキリスト教書物を読み漁り、経済学者・大塚久雄の著書『生活の貧しさと心の貧しさ』に出会いました。その中の「徴税人であるザアカイは、周囲から忌み嫌われ、そして誰よりも自分が自分を嫌っていた」との一文はその時の私にぴたりと当てはまったのです。

「なぜ自分だけがこうなるのか、なぜあいつは平気で出世しているのかなどと思い煩い、自分の心の貧しさを認められないうちは何も変わりません。自分は人間のクズだ。それほど惨めになった時、自分の心が本当に貧しくなった時、そのような自分にも『ザアカイ、急いで降りてきなさい』と声をかけてくれるイエスに、素直に彼は心を開いたのだ」と。

私自身、自分で自分が許せないと思っていた時は、心の貧しさの自覚がありませんでした。しかし、私も人間のクズだと思えた瞬間、あれほどキリスト教を嫌っていた私を赦そうとイエスが呼んでくれている、心からそう思えました。

「恐れを締め出す完全な愛」とは、この神の愛のことだとようやく気付かされました。愛されているからこそ自分は生かされてきたのだ、今まで気付かなかっただけなのだ。自分の弱さ、心の貧しさを本当に認めることが出来ました。

交通事故から七年後。
全ては私の知らないところで事が進んでいました。
でもこの事に気付かせるために、失いかけた命を神が戻してくれたのだと思えました。

(文責・月刊誌編集部)