「起き上がりなさい」小島誠志氏(2/4)

「良くなりたい」と答えられない

さて、イエスはここで奇妙な質問をされます。「良くなりたいか」と。それは当たり前ではないかと私たちは考えます。しかし彼は「はい、良くなりたいです」とは答えませんでした。

「病人は答えた。『主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。』」(7節)

1412_susv141214_02ここでは「病人は答えた」と書いてあります。一般的に病人はこんなふうに答えるのだということではないでしょうか。長い間苦しんで悩んでひどい目にあってくると、どんな病人でも「良くなりたい」とは答えられない。38年間の長い病の中で、彼の中にたまってきた恨みつらみが噴き出すのです。

彼はベットに横たわって、じっと人間を観察してきました。そこから見えてきたのは非常にシビアで苦いものです。「私が苦しんでいるのに誰も助けてくれないし、我先にと池の中に降りて行く。人間とはこういうものだ。」

38年間彼の胸の中には苦いものが一杯たまっていて、「良くなりたいか」と訊かれたキリストに、自分の中のものを全部吐き出してしまったのです。

この男の訴えは実に情けないと私は思ってきました。
しかし、イエス・キリストは叱ったり正したりしていません。聴いておられるのです。彼の胸にたまった思いをすべて聴いておられる。そこに慰めがあるのではないかと思います。

ドストエフスキーという小説家がこういう言葉を書いています。
「助けてくれと叫ぶ事が出来る、そこに慰めがある」。
立派な祈りでなくていい。助けてくれと叫んでいい。なぜなら、それを聴いてくださり受け止めてくださる方がおられるから。私どもはその方によって支えられ、生かされているのです。それが信仰ではないかと思います。