「きよしこの夜(讃美歌109番)」金田聖治氏(2/4)

マタイ福音書では、占星術の学者たちとは正反対に、主イエスを恐れ、憎み、その存在を葬り去ってしまおうとする者の姿も描かれました。ヘロデ王です。

新しい王様を迎え入れるためには、今までの古い王様は立ち去らねばなりません。一つの国に二人の王様は並んで立つことができないからです。それは、私たちにとってもまったく同じで、主イエスを新しい王様として迎え入れるためには、自分が王様であり主人である在り方を止めなければなりません。イエスを主人とするのか、それとも今までどおりに「したいことをする。したくないことはしない。好きだ嫌いだ、虫が好く好かない」などと、あなたは自分自身の腹の思いを主人とするのかと問われ続けます。

新しい王様イエスを葬り去ろうとする古い王様ヘロデが、私たちの魂の中に住んでいます。あなたも私も、古い罪の王様を葬り去ることができるでしょうか。はたして、新しい王様を迎え入れることができるでしょうか。

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裸の小さなちゃんの前で

さて2節全体はルカ福音書2章8~20節の出来事を歌っています。その末尾は「かしこみて」。畏れ入って、慎んだ態度・姿勢になるという意味の古い言葉です。これはどういうことだろうか。

野宿をし夜通し寝ずの番をしていた羊飼いたちのところへ主の御使いたちが現れ、救い主の誕生を告げる。「さあベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と出かけていき、探し当て、飼い葉桶に寝かされている赤ん坊と出会う。

この貧しい羊飼いたちとその赤ちゃんとの出会いはどんなふうだっただろうかと、何度も何度も思いめぐらせてきました。なんだかかしこまって肩肘張って緊張して、下々の者たちが高貴なお方とご対面するときのようだったのか。それじゃあ全然新しくない、今までどおりの古臭さじゃないかと思います。あのとき、羊飼いたちはどんな気持ちだったか…。