「この世で精一杯生きればよいのでは?」百瀬文晃氏(1/2)

「敢えて永遠の命などを信じないでも、虚心坦懐に精一杯生きていれば良いのでは?」キリスト教何でもQ&A・百瀬文晃氏、吉崎恵子

「キリスト教何でもQ&A」
百瀬文晃
(イエズス会司祭)
お相手・吉崎恵子

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百瀬
確かに、何の執着もなく慎ましく生きられたらどんなに良いだろうと思います。でも、実際にそれが可能でしょうか。
キリスト教の信仰によれば、人間が生きているのは、神様が何かを望んでおられるからです。その人は生きる使命がある。儚く過ぎ去っていくこの世界の背後に消えない永遠の価値がある。それに本当にこだわりをもって、真剣に見つめて生きるということが求められているのではないでしょうか。

この世の価値を越えて、他者のために自分の命さえも捧げることが出来るとするならば、その人がたとえ「永遠の命」と言わなくても、その人の生き方が証をしているのではないかと思うのです。

私は、復活信仰とは理屈ではないと思います。現世的な価値か、それを超えるものに希望を賭けて生きるか、この生き方の選択ではないかと思うのです。

人生の意味について、人間は考えざるをえないでしょう。私たちは、心の奥底で、自分の人生が無意味でないことを望むのです。

キリスト教の復活信仰は、説明すれば理屈っぽくなるのですが、根本的には私たちがごく自然に持っている希望を証するものだと思います。イエス・キリストの世の中おいて、この世の中が新しくされ、あらゆる傷が癒やされて完成がもたらされるからです。