「信仰の闘士・矢内原忠雄」加藤常昭氏(1/4)

「信仰の闘士・矢内原忠雄」み言葉を生きた人びと・加藤常昭氏

「信仰の闘士・矢内原忠雄」
み言葉を生きた人びと
加藤常昭
(神学者)

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矢内原忠雄先生は、明治26年愛媛県に生まれ、神戸の中学校に通っていた時にキリスト教に出会います。第一高等学校で内村鑑三先生に聖書を学ぶようになり、後に招かれて東京大学の経済学部の先生になります。その後、日本が国家主義の考え方を強めるようになると、それに対立するようになり、1937年に右翼の攻撃により東京大学が矢内原教授の辞任を求め、ご自分から辞職をされています。戦後再び東京大学に招かれ、1957年まで東大総長を勤められました。

二つの相反する自

私が初めて矢内原先生に直接触れましたのは中学生の時です。当時私は代々木福音教会で過ごしており、1942年5月24日に矢内原先生が「私の人生観」という題で礼拝説教をされたその要旨が残されております。

私に明白な二つの自覚がある。一つは、私は罪人であってキリストの十字架のもとに立たねば生きていけない人間であるという事である。これは限りなく恥ずかしき自覚であるが事実だから致し方ない。この自覚は私をして世界の誰よりも謙遜に、誰よりも柔和たらしめずにはおかない。私が充分謙遜でなく柔和でないのはこの自覚が不徹底であって、そのこと自体が私の罪人であることの証拠である。

それにも関わらず私にはこれと全く相反したようなもう一つの自覚がある。それは私は日本国の柱であって、私を倒す者は日本国を倒す者であるという自覚である。かく言えば、人びとは度し難き高慢と擯斥(ひんせき)せられるであろう。しかし私は聖書の真理の把握者として立つ時、この自覚を自ら払いのけようとしても、どうしてもまた湧き上がってくるのである。

この二つの自覚は一見全然相反するもののようであるが、私においては共に真実である。それはこの二つの自覚は一つの底流の両端における湧出口に他ならないからである。それを結ぶ流れはキリストである。キリストに結ばれる時、私は自分の罪を知る。しかしキリストによって私の罪を赦された時、私は日本第一の大人(たいじん)たることを自覚するのである。私の人生はこの自覚の上に成り立っている。」