「主、我を愛す(讃美歌461番)」金田聖治氏(1/4)

「主、我を愛す(讃美歌461番)」われ、弱くともー私を導く讃美の歌・金田聖治氏

「主、我を愛す(讃美歌461番)」
われ、弱くともー私を導く讃美のうた
金田聖治
(日本キリスト教会鎌倉栄光教会牧師)

聖書が説き明かされるだけでなく、一曲一曲の讃美歌も、ちゃんと十分に説き明かされる必要と価値があります。讃美歌の心を自分の魂に刻み込むなら、それは、自分自身の心で聖書を読むためのとてもよい道案内となるでしょう。

もし、心で味わいはじめるなら、讃美歌が歌っている通りの、その福音の現実を実際に、また具体的に生きることもできます。

歌を作った人々もまた聖書をよく味わい続け、そこで養われた信仰から歌がにじみ出てきたはずだからです。聖書自身から溢れ出てきた信仰の生命がそこにあります。

自らの弱さを知りながらも

この「主われを愛す」という歌も、元々の歌詞では「聖書はこう言う。聖書はこう言う」としつこく繰り返していました。

150年も昔からの古い讃美歌です。だからカビが生えて古臭くて時代遅れになっているのか。じゃあ今風でポップならいいのか。うーん。よくよく考えてみなければなりません。

確かにカビが生えて使い物にならなくなる歌も沢山ある。けれど、何百年何千年経っても新しいままの、生命にあふれた歌もある。だって、聖書もそうでしたね。かなり古いし大昔のものです。

主われを愛す、主は強ければ、われ弱くとも、恐れはあらじ。
わが主イエス、わが主イエス、わが主イエス、われを愛す。