第49回『見捨てられたのか?』
愚直な道—マルコによる福音書
金田聖治(日本キリスト教会鎌倉栄光教会牧師)
聖書:マルコによる福音書15章33~40節 >>聖書を読む
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◇大いなる謎
「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」(34節)。
マタイとマルコ福音書は、主イエスのこの言葉を記録しました。けれど残り二つの福音書は、これを省きました。この発言こそ大きな謎であり、教会の中にとまどいや混乱を呼び起こしもしたからです。
私たちも頭を抱えて立ちつくします。どういうことだろうと。
ある人たちは、「救い主イエスは、文字通り苦しみと絶望を叫びかけているのだ。たとえ殺されても三日後に復活することを確信しているから安らかであったと言うなら、十字架の上の苦しみと死は、なんだかイカサマで、八百長試合みたいじゃないか」などと言います。
主イエスはとても苦しんだのか?確かにそうです。けれど、ひどく苦しみ悩んだあまりにあの方は絶望してしまったのでしょうか。そもそも「私は見捨てられちゃったけど、その代わりにあなたがたは見捨てられないらしいよ」などと絶望して心挫けた者が、どうして私たちの救いを約束したり保証したりできるでしょうか。