「主の山に備えあり」小島誠志氏(1/3)

贖いの子羊を備える神の苦しみ「主の山に備えあり」小島誠志氏

日曜礼拝番組 全地よ主をほめたたえよ
日本基督教団 久万教会
説教・小島誠志牧師
説教「主の山に備えあり」より

聖書:創世記22章1〜8節 >>聖書を読む

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誰でも生きていれば試練に出会います。時には果たしてこれが本当に神の御心か、わからなくなるような辛い試練に直面すると思います。ここに書かれていますアブラハムに臨んだ試練はまさにそういう試練でありました。「あなたの息子イサクを焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」そう神が言われたと書かれています。

焼き尽くす捧げ物というのは、人間には罪があるから神に赦しを求める捧げ物のことです。恐らくアブラハムは、どんなものを捧げよと言われても自分は文句をいうことができない、それほど自分は罪深い人間なのだと思っていたでしょう。だから彼は神の命令に黙って従うのです。しかしこれはとても残酷な要求です。そして神ご自身がその残酷さを一番よく知っておられました。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを…焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」

人間は生きていく上で絶対にこれだけは手放せない、これを手放したらもう自分は生きていけないというものを握りしめて生きていると思います。アブラハムにとって独り子イサクはそういう存在でした。彼はもう真っ暗闇の中に突き落とされるような思いだったのではないかと思います。そういう思いでアブラハムは、神の命じられた所に向かって出発しました。

三日目、礼拝をする山が見えてきます。アブラハムは一緒についてきた若者に言います。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」これは苦し紛れの言葉です。しかしアブラハムは「神を礼拝する」と言うのです。神に祈り、そこで神と出会う。そしてまた戻ってくると。