「死に立ちはだかるイエス」小島誠志氏(1/3)

「死に立ちはだかるイエス」日本基督教団久万教会 説教・小島誠志牧師

「死に立ちはだかるイエス」
日曜礼拝番組「全地よ、主をほめたたえよ」
日本基督教団久万教会 説教・小島誠志 牧師

聖書:ルカによる福音書7章11~16節 >>聖書を読む

***

こんなことはあってはならない

一人の人間を失った喪失感というものは、類いないものがあります。他に例えようのないもの、何をもってしても埋めることの出来ないのが、喪失感です。殊に、長く一緒に生きた家族を失うということは、本当に大きな事柄です。

一人息子を失ったその母親は、やもめであったと書いています。すでに夫を失った女性です。ただ一人、ひたすら頼りにして生きてきた一人息子が死んでしまった。ですから町の人たちは同情してついてきたんです。亡くなった若者、悲しみに沈んでいる母親、その母親を取り囲んでいる人々。これは悲しい行進です。死の行進です。この悲しい死の行進の前に、主イエスが立たれるんです。

「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。」

この「憐れに思い」という言葉は、原語では人間の内臓が動くという意味の言葉です。

岩波訳聖書では「主は彼女に対してはらわたがちぎれる思いにかられ」と訳してありました。そしてこの言葉は、激しい憤りを表す言葉でもあります。主イエスは憤りに近い激しい感情を持って言われたのです。「もう泣かなくともよい」。もう泣くな、泣いてくれるな。こんなことはあってはならない。そういう思いです。

「そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。」

と書いています。つまりイエスは、この悲しい死の行進を止められたのです。
ただ悲しいだけの死の行進の前に、主イエスは立ちはだかられた。