「イザヤ書における信仰ーキリスト教の『信仰』の内実」小林和夫氏(1/5)

「イザヤ書における信仰―キリスト教の『信仰』の内実」神のドラマ・イザヤ書・小林和夫氏

「イザヤ書における信仰ーキリスト教の『信仰』の内実」
神のドラマ・イザヤ書
小林和夫氏(ホーリネス東京聖書学院教会牧師)

聖書:イザヤ書7章1~9節 >>聖書を読む

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信仰とは神様がおいでになることと、その神様は私たちの求めにお答え下さって祈りの解答をお与え下さる方であると信じることであると、ヘブル人への手紙11章では言っています。

それではイザヤ書の中には、どういう形でこの信仰ということが出てくるでしょうか。預言者イザヤが生きておりました時に、ユダヤの国が二度の国家的な危機に見舞われます。第一は〈スリヤ・エフライムの来襲〉、スリヤとエフライムという国が同盟してユダの国に攻めて来たことです。第二は〈アッシリヤの来襲〉、これはもっと大きなアッシリヤ大帝国という国がユダに攻めて来ました。

静かにし、れてはならない

まず第一の〈スリヤ・エフライムの来襲〉が、この七章の背景となっています。

「ユダの王、ウジヤの子ヨタム、その子アハズの時、スリヤの王レヂンとレマリヤの子であるイスラエルの王のペカとが上ってきて、エルサレムを攻めたが勝つことができなかった。」(1節)

もともとイスラエルとユダは兄弟の国であったけれども、利害関係のために北のイスラエルが南のユダの国に攻め込んで来る、しかももっと大きな国と同盟を結んで攻めてくるという出来事があったわけです。「王の心と民の心とは、風に動かされる林の木のように動揺した。」(2節)と書いてあります。その時に王様や国民たちがとった態度は、「だったら俺たちも政治的な配慮を考えよう、軍事的な整備を整えよう」というものだったんですね。