「ゴスペルは、究極の楽観主義」塩谷達也氏(1/1)

「ゴスペルは、究極の楽観主義」塩谷達也のSpirit of Gospel

「ゴスペルは、究極の楽観主義」
塩谷達也のSpirit of Gospel

第二回目の今日のキーワードは、『ゴスペルは、究極の楽観主義』。
曲は黒人霊歌の「Nobody Knows」です。

Nobody knows the trouble that I’ve seen
Nobody knows but Jesus
Glory hallelujiah
Sometimes I’m up, and sometimes I’m down
Oh, yes lord
You know sometimes almost to the ground
Oh, oh yes Lord

「誰も、今私が体験している悩みを分かってくれない。
 イエス様しか分かってくれない。
 おお、主よ、あなたを崇めます。
 私は心が喜びに引き上げられ、また、落ち込んでしまうこともあります。
 時に地にひれ伏して倒れるまで弱くなってしまうことがあります。
 おお、主よ」とそういう内容の歌です。

この歌は、黒人奴隷たちの深い悲しみを現わしています。曲調も哀感に満ちたものなので、ともすると悲しみだけに焦点が当たってしまいます。音楽のジャンル分けをすると、この歌も「ブルース」や「演歌」と同じように捉える方もあるかもしれません。しかし黒人霊歌にとって、ゴスペルにとって、悲しみや悲しみの表現というのは、決してその歌のメッセージのコアな部分ではないんですね。悲しみや試練は、ゴールではなく、そこから究極の楽観主義というところまで、信仰によってジャンプしていく、180度転回していくもの。これは奴隷たちの歌なので生々しくヴィヴィッドに描かれているように思います。聖書の中で神様が約束して下さっていることを、彼らはそのまま子どものように信じたその信仰によって、悲しみから喜びへと大転換させられ、不思議な平安に満たされたんだと思うんです。

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知って頂きなさい。」(ピリピ4:6)。

思い煩い。この曲で言えば、the troubleですね。それを「一切神に委ねなさい。神があなたのことを心配して下さるからです」(ペテロ一5:7)。

そうなんですね、この曲には、悲しみだけじゃなく、慰めと勝利が隠されている。
それはこの歌の「but Jesus」という、そこにかかっているんですね。

僕が大学生の時、聖書もキリスト教も知らずに初めてこの歌を友人から教えてもらって歌った時に、心に電流が走ったように感じたのを覚えているんですけれども、それはこの「Nobody knows but Jesus」の「but Jesus!」。

僕がとおっている所は誰も分かってくれないけれども、but Jesus、イエス様だけは分かって下さっているんだ!という歌詞に不思議に心を掴まれたというのを覚えています。きっと僕も、大学生の時に自分でも気が付かないほどに、大きな孤独と悲しみというのを心に秘めてこの歌と出会ったんだと思います。そう、自分がとおっている所っていうのは、自分と神様しか分からない。黒人奴隷たちもそうでした。そして現代の私たち。神様から離れ、無意識に悲しみを引きずっている僕らの歌なんだと思います。イエス様だけが分かっていてくれる。イエス様が、私のことを知っていてくれる。悲しみから喜びへのジャンプ。それを成し遂げて下さる神様への子どものような信頼。それが黒人霊歌にはあるんですね。

(文責・月刊誌編集部)