「あなたに欠けているもの」金田聖治氏(1/3)

「あなたに欠けているもの」愚直な道ーマルコによる福音書ー・金田聖治氏

「あなたに欠けているもの」
愚直な道ーマルコによる福音書ー
金田聖治氏(日本キリスト教会鎌倉栄光教会牧師)

聖書:マルコによる福音書10章17〜31節 >>聖書を読む

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神様は金持ちがい?

まず、23~27節の主イエスと弟子たちとのやり取りに目を向けましょう。一見すると、「財産のある者や金持ちが神の国に入ることは難しい」と主イエスが仰っているかのように見えます。では逆に、貧乏人や借金を山ほど抱えた人なら簡単に神の国に入れるのでしょうか。神さまは金持ちが嫌いで、貧乏な人をえこひいきするのか。

金持ちの議員は、律法の要点『神を愛し、隣人を愛すること』と告げられ、「はい。子供の時から、みな守ってきました」(20節)と誇らしげに胸を張りました。28節のペトロの発言も、これとよく似ています。「このとおり、自分の物を捨ててあなたに従って参りました」。強い自負心とプライドが彼らの共通点です。すっかり全部捨ててきたと胸を張るペトロなら、簡単に神の国に入れるのでしょうか?神の国に迎え入れられるために、いったい誰がふさわしいでしょう。

一人の裕福な人が主イエスと語り合い、立ち去っていきました。彼は「非常に悲しんだ」(23、24節)とあります。「永遠の命を」と彼は願い求めました。喜ばしく幸いに生涯を生き、やがて希望を持って死んでいくこともできるようにと。パッと見た感じでは、この彼が主の弟子とされるには何の不都合も落ち度もないように見えます。けれど残念なことに彼には、永遠の命よりも、他に大切に思えるものを抱えていました。

「持っているものを売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば天に宝を積むことになる。それから私に従いなさい」(21節)。

「お金のことかァ。私はそんなに金持ちじゃないから関係ないや」と、あなたは安心してはいけません。あなたや私には色々な種類の《財産・宝》があります。目に見える財産だけではありません。「ちゃんとやってきた」という自負とプライドもまた私たちの大切な財産です。「私にはコレがあるから大丈夫」という支えであり、頼みの綱であり、誇りのことです。財産をいっぱい持っている人も少ししかない人たちも、共々に。

主イエスは「貧しい人は幸いだ」(マタイ5章3節)と告げられました。また「神は世の無学な者、無力な者、身分の低い者や見下げられている者を選ばれた」(一コリント1章26節~)と告げられました。さらに「子供のようにならなければ、だれも決して神の国に入ることはできない」(マタイ19章30、20章16節)と告げられていました。なぜだろう。大きな者や賢く偉い者や金持ちを神は嫌いなのだろうか。いいえ、決してそうではありません。彼らの中にも神の救いに預かり、憐れみを受け取る者が起こされました。けれど一筋縄ではいかなかった。彼ら自身の大きさや高さや偉さや豊かさが、彼らと神との間に入って邪魔をしていました。大きな大人のつもりで神の国を受け入れようとしていました。