「『旅する神の民』として―司牧の現場から第二バチカン公会議を振り返る―」幸田和生氏(4/4)

そして、本当に変わるのは「私から」だということです。例えば「日本の教会がもうちょっと良くなれば…」と感じることもあると思いますが、けれども、変わるのはやはり私からでしかないのです。そのためには、私自身がもっと祈りと聖書に深く入っていき、もっとイエスとのパーソナルな親しさを生きるということがないといけないと思います。

1403_01_svco140307_04例えば、マザー・テレサは自分が本当に深い神との交わりを生きて、その中から彼女が歩き始めて、それが人々を惹きつけていったことが教会を変えていったんです。彼女は「教会を変えよう」と思っていた訳ではありません。目の前のただ死を待つ他ない人の内にキリストを見出したこと、そこから全てが始まり、それに最後まで賭けていった人だと思います。

ですから、見失ってはいけないものがあると思います。私を含めて現代人は余りにも目の前のものに振り回されて、本当に大切なものを見失っているのではないでしょうか。本当に確かなもの、本当に大切なものを持ち続けることが大切ですし、それを本当に持っていさえすればあとはいくらでも変われるのです。

―教会が変わるという時の危険性とは?
▼教皇フランシスコが「教会はNPOではありません」と仰っておられました。つまり、そういう危険があるということだと思います。カトリック教会にとって、申し訳ないくらい感謝すべき宝は、常にミサがあるということです。ミサは理屈ではないんです。ご自分の全てを与え尽くされたキリストが本当に復活して今も生きておられて、私たちはそのキリストと一つに結ばれていくということを毎週自分の五感で感じながら歩んでいくのです。それが無くなったら、もう私たちはお終いです。そしてそのミサから私たちは促される訳です。キリストの愛を感じ、それに結ばれて、自分に出来ることをしていこうと。そして、その全ての活動はミサの中で神様に捧げられていくという循環があるんですね。私たちはそういう風に生きていきたい。ミサから全てを与えられて、ミサに於いて全てのものを神様にお返ししていきたい。そう強く思っています。

(文責・月刊誌編集部)