「『旅する神の民』として―司牧の現場から第二バチカン公会議を振り返る―」幸田和生氏(3/4)

私たちの中心にはがおられる

▼二十世紀のこの世界においていくつかの大切なことが起こりました。その一つは、ラテンアメリカで起こった『基礎共同体』と言われるものです。1960年代頃、アメリカ資本が大地主と手を結んで大規模農場を作り、一つの作物だけを作るようになっていく。その時、それまでは何とか自給していた農民たちは農場労働者となり、どんどん追い詰められていきました。伝統的な村の共同体は崩れ、そこに住めなくなった人たちは都心でスラムを形成していく。人はバラバラで支えあいが無く、共同体の中心にあった教会による心の支えも無い。そういうラテンアメリカで起こったことは、一緒に聖書を読むことだったんです

―組織を作るとかでは無かったんですね。
1403_01_svco140307_03▼そうです。貧しい人たちが集まって、一緒に聖書を読む。そして、どの御言葉が心に響くかということだけの分かち合いをしたんです。それは、不思議なくらい力を持ったんですね。私は思うんですが、もともと、エジプトの奴隷状態にあった民を神が救い出してくださったことを物語るのが旧約聖書です。そしてローマ帝国の植民地であったパレスチナで、本当に貧しく希望を失っていた人々にイエスが福音を語り、その人たちが立ち上がっていったのが新約聖書です。その意味で、本当に大変な状況にある人たちには響くんです、御言葉は。自分たちの救いの言葉として響く。それを分かち合った時に、自分たちはお互いに繋がっているし、自分たちの中心に神がおられるということを取り戻していく。日本の教会でも、聖書の言葉を中心にして私たちが集まるというところから共同体づくりをしていきたいと願っています。