「教会は真面目な人たちが行くところ?神を信じることは必要?」百瀬文晃氏・吉崎恵子(1/2)

「教会は真面目な人たちが行くところ?神を信じることは必要?」キリスト教何でもQ&A・百瀬文晃氏・吉崎恵子

「教会は真面目な人たちが行くところ?神を信じることは必要?」
キリスト教何でもQ&A
百瀬文晃(カトリックイエズス会司祭)
お相手・吉崎恵子

問『神を信じることは必要なのでしょうか?
神を信じなくても支障なく生きていけると思うのですが。』

神は一人ひとりの人間とこの世界をお造りになったと、キリスト者は信じています。
アウグスティヌスはこう言っています。「神は私たちを御自分に向けてお造りになった。だから、私の心は神に憩うまでは本当に安らぐことを知らないのだ」と。

自分の名誉とか富とかを目標に生きて、その場の生きがいを感じることはあるでしょう。しかし、本当に神を信じなくても支障なく生きていけるのでしょうか。神が人間を御自分に向けてお造りになったということは、人間の心の奥底には神に向かう憧れが植えつけられているということではないでしょうか。その憧れを無視して、あるいはそれに気づかないで生きようとしても、支障なく生きていけるとは、私には思えないのです。

ですから、神を信じるというのは一つの生き方なのです。自分が神に向けて造られ、そのように生きる限り、自分は喜びを見出すと気づく時、自分の生き方の決断が迫られます。「自分は神に向かって生きる、これこそが自分の生き方だ」と。

これこそが、イエスの福音を通して明らかにされたことです。イエスは、神はどういう御方かをご生涯を通して示されました。それは、その神の呼びかけに答えるとはどういうことかを具体的に示してくださったのです。