「自分で自分を救えない神」早矢仕宗伯氏・長倉崇宣(1/2)

「自分で自分を救えない神」イエスの風に吹かれて〜みことばお散歩トーク〜早矢仕宗伯氏・長倉崇宣

「自分で自分を救えない神」
イエスの風に吹かれて〜みことばお散歩トーク〜
早矢仕宗伯氏(日本福音自由教会協議会東京武蔵野福音自由教会牧師)
長倉崇宣(FEBCスタッフ)

聖書:ルカ福音書23章32〜46節 >>聖書を読む

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自分で自分をえずに終わった

早矢仕 イエス様はこの時、何を思ってたんだろうって一生懸命想像してみたんだけど…わからんな。何にも言えへん。黙るしかないな。

長倉 イエス様の思いが記されていないのはどうしてなのかと考えてみたんです。

 起こった出来事を書くだけで精一杯やったんかな。そのインパクトの強さに圧倒されて、心がついていかれへんというか。僕らの手の届く範囲じゃない。下手な想像とかしないで、そのまんま受けとめるしかないのかな。

 気になったのは、「自分で自分を救え」って言葉が三回も出てきますよね。

 みんなが言うてるよね。イエス様はなんで十字架から降りなかったんやろう?

 そうなんですよ。そして思ったんです。自分で自分を救えないのはイエス様じゃなくて私のことだ!って。だから、もしイエス様が十字架から降りて自分を救ったら、私は取り残されちゃうじゃないかって。

 イエス様はそこに留まって、自分で自分を救えない者として終わったわけやもんね。イエス様はこの時、ホンマに人間になったんやないかな。もちろん生まれた時から人間なんやけど、この全部のことを通して人となるというか。自分では自分を救うことの出来ない者となったこの時に、初めて本当の意味でイエス様は人となられた。

 「死ぬ」って、本当に無力になることですよね。

 ほんま、そうやと思うよ。この死を通してイエス様はホンマに人間になられた。