「聖書に聴き、語るとは」錦織 寛氏、高橋 誠氏、郷家一二三氏(1/3)

「聖書に聴き、語るとは」『神のドラマ・イザヤ書』再放送記念番組・錦織 寛氏、高橋 誠氏、郷家一二三氏

FEBC特別番組 『神のドラマ・イザヤ書』再放送記念
「聖書に聴き、語るとは」

錦織 寛氏(日本ホーリネス教団東京中央教会牧師、東京聖書学院院長)
高橋 誠氏(日本ホーリネス教団八王子キリスト教会牧師)
郷家一二三氏(日本ホーリネス教団坂戸キリスト教会牧師)


「もしイザヤ書が無かったら、主イエスの宣教は違っていたはずだ」―そう語らざるをえないほど、イザヤの言葉に突き動かされ、主イエスを証し続けてきた日本ホーリネス教団の牧師、小林和夫氏。三月から始まる「神のドラマ・イザヤ書」の再放送を記念して、小林氏の伝道の心を受け継ぐ三人の牧師にお話を伺います。聞き手は長倉崇宣。


錦織 寛氏(日本ホーリネス教団東京中央教会牧師、東京聖書学院院長)

錦織 寛氏錦織 私は子供の頃から小林先生の説教を聞いていました。そして伝道者となって、先生がご自身のことを赤裸々に語って「今の自分があるのは神の恵み以外にない、あなた方も同じだ」と。

先生はよく「御言葉を握る」という言い方をされますが、私たちが毎日の歩みの中で御言葉に触れ続けることが大切ですよね。そして詩編一編にあるように、その御言葉を何回も思い返す。例えば礼拝説教を聞いた後、またはその日のデボーションで読んだ御言葉でもいい。そこで、一つでも御言葉をつかんで一日の間に何度も思い巡らすうちに、私たちを生かしていく力になるんじゃないでしょうか。ある程度私たちが意識しないと、御言葉を心に刻めないかもしれない。そのように蓄えていく御言葉が、いざという時に出て来ます。普段から御言葉に触れ続けていれば、聖霊が思い起こさせて下さるんです。

説教を聞いて「良かった、感動した」という時、どこが良かったのかが肝心ですよね。そこで神様が語られた御言葉を一つでも受け止められたら、極端な事を言えば説教の内容を忘れてしまってもいいんです。

聖書の御言葉って、底なしですよね。宝はいくらでも出てくる。神様の言葉ですから、私たちがいくら分かったと思っても、まだまだ読みが足りない。神様のことが何も分かっていない。でも、それを知ることがまた楽しいんですよ。(21日放送)