「説教のバックボーン・ハイデルベルク信仰問答」加藤常昭氏(1/5)

第1回「説教のバックボーン・ハイデルベルク信仰問答」加藤常昭氏

FEBC特別番組 ハイデルベルク信仰問答と日本の教会
第1回「説教のバックボーン・ハイデルベルク信仰問答」
加藤常昭氏
(神学者)


「生きる時も、死ぬ時も唯一の慰めは何か。」 この問いから語り始めるハイデルベルク信仰問答は、プロテスタント教会に大きな影響を与えてきました。しかし今、危機の中にある日本のキリスト者と教会。ここに時代の問いがあります。私たちは本当にこの信仰問答を受け止めてきたのだろうか、と。 教理信仰を超えて、真に神に向かい、神に聴く。そこにハイデルベルク信仰問答が証しする救い主イエス・キリストの唯一の慰めがあるのです。 本年九月にキリスト品川教会で行われた講演会から、加藤常昭先生の講演をお届けいたします。


正しさも力も失っている

「説教のバックボーン」という言葉で、次の主題をめぐって、ご一緒に考えたいと思います。それは福音宣教、説教と言ってもよい「言葉」を問うということです。言い換えると、正しい、しかも力ある説教を語る。これが我々の課題だと自覚しております。

なぜそのことを強調するかと言うと、日本のプロテスタント教会の一つの危機がそこに見えてきているからです。正しさも力も失っている説教になっているのではないか。教会の言葉としての説教者の言葉が正しく福音を語っているか。パウロがガラテヤの教会に対して戒めた「異なった福音」を語ってはいないか。

しかし、たとえ正しく福音を語っていて、教理的に間違っていない説教であっても、かつての日本の説教者の代表的な存在であった高倉徳太郎牧師の言葉で言えば、「福音者としての迫力を欠く」ことがある。そうすると、正しいけれども力がないというのではなくて、正しさそのものまでが改めて疑われる。福音を正しく説いている説教は、力を持つのは当然なのです。力のない説教はその正しさまで問われる。正しく福音の真理を語り、しかもそれゆえに力を発揮している、その一つの典型を私はハイデルベルク信仰問答に見出しております。

そもそもカテキズムは教会の信仰に生きるということは、あなたにとってどんな意味を持つかと問うのです。だから信仰問答とはいつも「あなた」という単数の第二人称で問う。そこで救いとは何かをその人の言葉にしてあげ、しかもそれが信仰への積極的な姿勢を作らせるように語るのです。我々の説教の一つの急所も同じであります。