「日本の教会・現代の教会―この時代を救うもの」岩島忠彦氏(5/5)

信仰を一生のこととしてきるために

特に近代において、「信仰の問題は心の問題である」という感覚が非常に強くあります。
世の中では普通に仕事などをし、そこに自分の信仰の問題を持ち出さない。

けれども「本当にそうなのか」ということが、現代の教会が目指していることなのです。

私たちはイエスの教えを学んできました。例えば、その愛の教えというのは、非常に具体的な生活や行動の問題です。心の清らかさや内面における祈りの生活ということだけではない。
つまり本当の福音の精神というものは、現実の生活の中にあるはずなんです。

第二バチカン公会議のもう一つのキャッチフレーズは「源泉に帰れ」
つまり、もともとの信仰の精神とは何だったのかということを問う時に、やはり諸現実に対して開かれ、そこにおいて信仰は自分の生活の中で力になるはずだという姿勢が打ち出されました。その意味で、公会議後に教会は相当変わりました。

私は、ピオ12世が亡くなった時に洗礼を受けて、それ以来、信仰を一生のこととして大切にしようとする生き方をしてきました。その中で、日本人としてのギャップというものを意識してきました。

最初に土着化ということを申し上げたのですが、「どこか遠くの地で作られた信仰形態」のそのままの型に入っていれば、いつまでも「キリスト教は外国の宗教」ということになってしまいます。そうではなくて良いと思うのです。

キリストを信じてその恵みの中で生きるということは自分の信念ですし、本当に大きなことです。ただ、その信仰生活がどういう形であるかということは、自分が生きる中で「納得出来たもの」だけを伸ばしていかないといけない。

聖職者であれ信徒であれ、そういう意識でないといけないと思います。本当に、自分たちの生活の中で信仰を大切にするということ。
例えば宣教師から「こうですよ」と教えられたことを覚えるというのではなくて、受けた信仰を自分の中から芽生えさせるということが、特に日本では、今一番大切なことだと思います。

(文責・月刊誌編集部)