「キリスト者の生き方2―運命と試練」岩島忠彦氏

「キリスト者の生き方2―運命と試練」岩島神父のキリスト教信仰入門講座・岩島忠彦氏

「キリスト者の生き方2―運命と試練」より
岩島神父のキリスト教信仰入門講座

岩島忠彦氏(イエズス会司祭、上智大学神学部名誉教授)

シラフになる

人は、いくらこの世の良きものを求めても、それだけでは本物にならないんですね。人間が最も自分の中の芯で重要だと考えていることというのは簡単に誤摩化せることでもありません。小さな日常から命の問題に至るまで、人間の中には苦しみがあります。自分が望まないことや自分ではいかんともしがたいこと、ひと言で言うと「不条理経験」ということになるのでしょうけど、特に病気、老齢、死、そういうことに直面した時に、信仰とか救いの問題というものが本気で取り上げられていくことになるわけです。

神様を信じるということは、この世の現実を直視することだと思うのです。
キリストを信じる人はキリストの十字架を目印にしますから、どんなこともまずはありのままを認めるところから出発すると思います。それを聖書では「悔い改めよ」と言われます。つまり、回心というのは自分のありのままを見るところから出発する必要があると思います。

一ペテロ5章8節は「夕の祈り」で伝統的に祈られている言葉です。
「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。」

「身を慎み、目をさましていなさい」というのは直訳すると「シラフでいなさい」です。これは人間の生き方の根本だと思うんです。人はいろんな状況で酔います。その時には何か自分に割の良いところに入り込む。しかしそれでは「敵である悪魔が食いつくす」と。つまり、あなた方自身が食われてしまうということです。

たとえば浦島太郎の話みたいなことは、多くの人の人生に起こっていることじゃないかと思うんです。竜宮城でただ珍しく面白く過ごしていた。けれどその間に自分の一生を食いつくしてしまっていたと。「目をさましていなさい」というのは、現実に対して目を開いているということじゃないでしょうか。誰にでも現実逃避はあると思います。あるいはもっと積極的な自分の理想を構築しようとする人もいるかもしれません。しかしどこか浮いていると思います。キリスト教の信仰というのは、良いことだけではなく、苦しみやあらゆることをしっかりと受けとめる、そこからしか出発できないと思います。