「父、子、聖霊なる神の交わり、その似姿への回復」ゲオルギイ松島雄一氏

この「モノが救われた世界」というのは、正教会の礼拝に溢れています。私たちの教会の聖堂にはモノが溢れています。イコンが描かれ、良い香りのする乳香があり、聖歌が耳に響きわたってきます。そしてなんと言っても、そこで分かち合われるパンとぶどう酒は、神の御身体と血です。モノの世界がもう一度、感謝と喜びの内に、神様の愛の贈り物として分かち合われているのが教会なのです。

頭でっかちでバランスを失ってしまった現代社会にあっては、今までお話したことは非近代的で迷信的と思われるかもしれません。でも、私たちは胸を張って言います。ここにこそ、イエスにおいて神が人となったことの真の意味がある、と。

キリスト教というのは、既に申しましたように「体験の伝承」です。私は青春時代に祖父が信徒であった正教会に行くようになりました。正教会の聖体礼儀の中では、聖変化(パンとぶどう酒がキリストの体と血になる)の祈りの絶頂の時、土下座します。その当時、「まだ俺は信じてないから」とそれを拒否していたのですが、「いっぺん土下座だけでもやってみるか」と私もしてみた時に、自分の心の中の冷たく固いものが、一挙にドッと溶けていく気がして涙が出てたまらない体験をしました。それまでの私は、喩えて言うなら研究も計画も実行もフィードバックもするけれども、なぜしているか分からない。信仰で言えば、祈るということがない生き方だったんです。しかしそれが、正教会の祈りの空間の中で一挙に溶け落ちたんです。ですから私は、「何か本当でない生き方をしている」という思いの中にいる方がおられたら、一度、正教会をお訪ねいただけたらと願っています。

(文責・月刊誌編集部)