「われら罪に定められず」加藤常昭氏

密な神の救いの手続き

この十字架の死だけではなくて、少し先の11節には「キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかた」と、よみがえりについて語っています。パウロは、御子イエスを十字架で死なせた父なる神は、このイエスを死人の中からよみがえらせた方でもあると申します。ここで、イエスのよみがえりを強調しているということは、私どもの心を捉える不思議なことです。

このようにして、ここでは御子イエスが十字架において死なれたことと、よみがえられたというこの二つの事実をハッキリとパウロは語り、それを背景にして初めて語りうる命と平安を告げるのです。

神様のなさることにスキはなかったのだと申しました。そのことを私どもが、どこでまずちゃんと知っておかなければならないかというと、この御子イエスの死とよみがえりにおいて神様の救いの手続きに間違いはなかったということを、ちゃんとわきまえるということです。

救いの手続きなんて言うことばは、ちょっとおかしな響きかもしれません。しかし実はこれは昔から教会の中で用いられてきた言葉です。神様はちゃんとした手続きをもって罪を処理して下さる。「手続き」という言葉はなんとなくお役所の臭いがして妙な気持ちになります。お役所というのは時に形式的に事柄を運びすぎる印象を与えますが、逆に言えばいい加減な手続きではことが進まないということです。その手続きをきちんとしないと、法が成り立たないからです。我々が役所の手続きをいい加減にすると、それは我々に跳ね返ってきて、被害を被ることになります。事柄はもっと深刻です。なぜなら、神様と私どもとの間のことだからです。