「今、神学するということ」石居基夫氏

信仰者としてどう生きるか、
そこに神学が

私たち信仰者は、今何を神様から問われているか。そこから自分の罪の姿も見えて来るはずですよね。ルカ10章の良きサマリヤ人のたとえで、イエス様が「あなたも行って同じようにしなさい」と、今の私たちに語られている時、誰の元へ駆け寄らなきゃいけないの?そういうことが見えてきて初めて自分の罪が示される。罪というと「神様からの離反です」、それは確かにそうなんだけれど、神様からの語りかけは私たちのコンテキストの中でこそ明らかになってくる。「このことを放っておくのか?」と。

神学とは、結局信仰の営みなんですね。ですから研究者とか神学者だけがするということじゃなくて、みなさんが神学をするんです。何か事柄に出会った時、神様に尋ねながら信仰者としてどう生きるかと考えるところに神学があるんです。例えば人生の中で大きな試練が起こった時、祈れない。祈れない自分ってどういうことか?と信仰が問われる。あるいは、大事な人に自分の信仰を伝えたいと思うけれど、どう伝えたら良いか分からない。でも伝えたい。どうして伝えたいと思うんだろう?、と。それは、そこに自分の救いの喜びがあるからですよね。そういう思いを改めて言葉にしようとする。そこに神学が働くんですね。ですから私たち一人ひとりが神学者だと言えるんです。

(文責・月刊誌編集部)