「健全な祈りの態度」より
まことの目撃―ルカによる福音書―
小林和夫氏(日本ホーリネス教団東京聖書学院教会牧師、東京聖書学院名誉院長)
***
私たちはつい「祈ってみてもどうにもならないのではないか」と望みを失って、祈りの線から一歩下がってしまうのですけれども、イエス様は失望せずに祈るべきだと、このたとえ話をお語りになりました。
神を神とも思わない傲慢な裁判官のところに、ひとりのやもめがやって来ます。
「その同じ町にひとりのやもめがいて彼のもとにたびたびやってきて、『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。」(ルカ18:3)
この「たびたび」というのは、何回も夜となく昼となくやって来たということです。そして
「このやもめがわたしに面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろう。そうしたら、絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう。」(5)
この「面倒をかけるから」という言葉は「面倒をかけ続けるから」という言葉が使われています。イエス様は、こういう態度で祈るようにとおっしゃいました。私たちは「しつこく言わないほうがいいや」と思いますが、神様はしつこく祈られることを求めているのです。しかもここで裁判官が言っている「わたしを悩ます」という言葉は、生易しい言葉ではありません。これはボクシングに使われる言葉で「相手の顔を目の下が黒ずむまで打って倒してしまう」という意味です。
イエス様は「あなた方は本当の意味でわたしを困らせるような祈りをしたことがあるか」と弟子たちに問わんばかりに、このたとえ話をなさったのだろうと思います。