◇改革の視座2:日常生活の中で
・慣習改革
混乱してどうなるかと思われていたヴィッテンベルクの町の様子も、この一週間の間のマルチン・ルターの説教で急速に平穏の中に移っていきました。一部の過激な人たちが推し進めた急激な改革のほとんど全てを、マルチン・ルターはまた元に戻してしまいました。今更元に戻すことはないのにと考えた人たちもいましたけれども、自分もその他の改革者たちも一緒になって、まずもって民衆に向かって、神様の言葉、イエス・キリストの福音を解き明かしていくというそのことに集中をしていくのです。
マルチン・ルターは、民衆の運動としての宗教改革を推し進めるのに、それを第一に説教運動、第二に文書運動、そしてようやく第三に慣習改革の運動として展開していったのでした。マルチン・ルターのこの説教に習って、ヴィッテンベルクの町、周辺の町や村の中で、ルターの教えに従いながら聖書の福音を民衆に説教する説教者が増えていきました。正に生きた神の言葉として、説教者の口から語られる福音が、知識人だけでなく農民や庶民たちを含めて、一人ひとりを宗教改革の福音信仰へと導いていったことでした。
説教によって、文書によって宗教改革が信仰として人々の心の中に浸透していく、そういうことが起こった後でようやく、追いかけるようにして、そして結果として自然と、教会の様々な慣習が改革されていくということになる。そして、第三段階に慣習改革としての宗教改革運動が歴史の中に事実となって残っていくことになりました。