「福音主義教会の建設へ」徳善義和氏

改革の視座1:の改革者

・キリスト者の自由

説教壇の上からマルチン・ルターは、この8つの連続説教の第一をこう語り始めています。
「私たちは皆、死に定められており、誰も他人に代わって死ぬことはありません。各自が自分で死と闘わなくてはならないのです。なるほど死にかかっている人の耳に向かって叫ぶことはできましょう。しかし死の時には、各自が自分できちんとしていなければなりません。その時、私はあなたと一緒にはいませんし、あなたも私と一緒にはいないのです。そこでは一人ひとりがキリスト者であれば求められる信仰の主要なことがらを充分に知って、死に対して準備ができていなくてはなりません」。
こういう言葉で語り始めて「信仰は一人ひとりのもの、そしてそれは丁度、死が一人ひとりのものであるのと同じだ」ということから説き起こし始めるのですが、近代から現代にかけて個人主義の中で生きている日本のキリスト者は、ここでは信仰の個人主義が語られていると聞いてしまいがちですけれども、マルチン・ルターはこの説教をこういう調子で始めながら、説教の主題はそこにはないというのが、とても大事なことのように思います。

その最初の主題を確認した後で、マルチン・ルターは「どのような状況にあってもそのように一人ひとり信仰をもって生きるのならば、この世の中の色々な行動に関しては、隣人のことを思わなければならない。とりわけ弱い兄弟を愛する心を持って行動しなければならない」と第二の主題に移っていくのです。それはあの『キリスト者の自由』の主題と同じだと言ってよいと思います。

『キリスト者とは全てのものの上に立つ自由な君主であって誰にも服しない。キリスト者は全てのものに仕えるしもべであって誰にでも服する』
混乱のヴィッテンベルクに帰って来てもマルチン・ルターは、この変わってしまってはならない信仰の主題を人々に説いて聞かせるのです。