「十字架につけられたキリスト」平野克己氏

十字架につけられたままのキリスト

パウロは続けます。「この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。」(8節)私どもはいつの間にかこの世の支配者に支配されてしまいます。点数が良かったとか、どれだけの責任を任されたとか、健康であるかとか。教会でさえ同じことがおき、支配者たちが教会を支配しようとした。パウロはだからこそ言うのです。あなたがたの目の前に示されたのは、十字架につけられたままのキリストだ。ここにおられるじゃないか。それなのにどうして弱い者たちの姿が、苦しみ続けている者たちの姿が、貧しい者たちの姿が見えないのだと。

教会は役に立つかどうかで判断されてはなりません。私たちの真ん中におられるのは、十字架につけられたままのイエス・キリストなのです。そしてそこから神様は新しい歴史を始めようとしてくださっています。支配をする者の考えもつかないことです。もしかすると私どものすっかり忘れてしまうことです。十字架につけられたままでいるキリスト、私どもの一番低いところにいてくださるキリスト、本当に悲しみ苦しんでいる者と共にいてくださるキリストを、私どもの礼拝の中心にずっと置き続ける。さもなければ教会は、キリストの体を自分たちの勝手な遊び場に変えてしまいます。どうぞ騙されないでください。キリストがいてくださいます。この世でどんなに捨てられたように思える方にもキリストは共にいてくださるのです。十字架につけられたお姿で。

「キリストの体をキリストにお返しください。」

(文責・月刊誌編集部)