「十字架につけられたキリスト」平野克己氏

「十字架につけられたキリスト」全地よ主をほめたたえよ日本基督教団代田教会・平野克己氏

「十字架につけられたキリスト」より
日曜礼拝番組 全地よ主をほめたたえよ

日本基督教団代田教会・平野克己氏

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兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。 なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。 そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。 わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。 それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。 わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。 この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。 しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。 わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。
(コリントの信徒への手紙一2章1~10節)


パウロはコリントの教会にこの手紙を書かなくてはなりませんでした。
教会に問題があったからです。
分裂、性的な不道徳、信徒同士の裁判争い、偶像礼拝を巡る争いがあった。
聖餐が混乱しており一緒に主の食卓を囲めなくなっていた。

しかしコリントの教会の人々にはそのような状態に対する危機感がなかったのです。
そんなことはどこにもあることだ、お互いを見ないで神様だけ仰いでいけばいい、そんなふうに考えたのかもしれません。
パウロはそのことが我慢ならなかった。
教会がどういう場所かわかっていないと。そこで書いたのがこのコリントの信徒への手紙です。