「心の目のピントを合わせる」井幡清志氏

教会のント合わせ

日本のキリスト教会の現状として、伝道が非常に難しいと言われることがあります。教会にとって今は暗い時代だと。一見すると確かにそうだなと誰もが思います。けれども、あえて「本当にそうなのかな」と考えてみなければとも思うのです。

先ほどのイエス様のお言葉にも、「目が濁っていれば全身が暗い」と。そうすると、現実が暗く見えているということは、私の目が澄んでいないから、この体が暗さに覆われて、暗く見えてしまうのではないだろうか。そもそも日本の教会の中で、信徒の数がどんどんと増えてすごいことになっていったという時代が果たしてあったでしょうか。キリスト教ブームは一時のことでした。むしろいつも、信徒の数がなかなか増えない中で教会が進んできたのではないかと思うのです。

私が以前、牧師を命じられていた四国の小さな山漁村の町の教会にも、本当にわずかな財政の中で、でも牧師と一緒に歩もうと牧師を支えておられる方々がおられました。金銭的には厳しいですけれども、神様の御業がどこにどう働いているのかということは、神様の御旨に焦点が合っていれば分かることなんですね。神様が伝道者を送って、ここでみ言葉を宣べ伝えて下さる。これは誠に神様のお働きがここにあるということではないか。お金や人数の問題とは全く違った神様のお働きの姿にピントが合っていれば、ただ「困ったな~」とそろばんを弾くなんていうことにはならないのかもしれません。

教会の教師の務めは、福音を語ることです。さまざまなこの世の状況、この世の価値観の渦巻く中で、喜びの知らせを告げることです。神の愛が現実を凌駕している。そのことを、この世のどんな現実の中にあっても見つめつつ、励むべきところなのに、教師自身がその喜びにしっかりと立つことが出来ないとしたらどうなのか。「原則はそうだが、現実は厳しいぞ」と言うとしたら、前を行かれるイエス様の背中が見えなくなっているのではないか。そのことを、今日のこのイエス様のみ言葉から教えられるのです。