「主が会堂を建てられる」より
御足の跡を
小池与之祐氏(日本基督教団神の愛キリスト伝道所牧師)
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「主御自身が建ててくださるのでなければ 家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ 町を守る人が目覚めているのもむなしい。」(詩編127編1節)
神の愛キリスト伝道所の会堂建築の中で、私は次の聖書の言葉を読みました。
「わが子ソロモンよ、この父の神を認め、全き心と喜びの魂をもってその神に仕えよ。主はすべての心を探り、すべての考えの奥底まで見抜かれるからである。もし主を求めるなら、主はあなたに御自分を現してくださる。もし主を捨てるならば、主はあなたをとこしえに拒み続けられる。今、よく考えよ、主は聖所とすべき家を建てるためにあなたを選ばれた。勇気をもって行え。」(歴代誌上28章9〜10節)
私は、会堂建築が主に命じられたことだと信じてまいりました。それに七年間四苦八苦しました。何度も何度も工事にはこぎつけるのですが、それらは皆打ち砕かれてしまいました。何故だったのでしょうか。それは、主の妨げがあったからではなくて、主が私自身の心の底まで見ておられたからでした。
主イエスの掟を思いました。
「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」(ヨハネ13章34〜35節)
私の心の奥底まで見ておられる主が、この掟を守るかどうかを見ておられる。
私は、もう一度自分自身を主に明け渡そうと思いました。
全てを、自分が牧師として中心になって会堂建築をするという思いも、全て主に明け渡しました。そうすると、私の心の奥底を見られたのでしょうか、イエス様が言われました。
「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マルコ8章34節)
(私にとっての会堂建築、それは)「私に重荷を預けなさい、私の軛を負いなさい」と語られたイエス様の御足の跡に従うことでした。
7年かかりましたが、会堂建築は挫折したのではありませんでした。10月には起工式、来年3月に引き渡し、五月に献堂式を予定しています。神様は、私の力の及ばないことをよく知っておられ、しかし無きに等しい者をお用いになってくださいました。今迄、あちらにこちらにと四苦八苦しました。「主御自身が建ててくださるのでなければ家を建てる人の労苦はむなしい」。今、神様が私を用いてくださったことを感謝します。
天のお父様。神の愛キリスト伝道所の会堂建築が完成するように、どうか多くの人々の祈りと協力がありますように。主イエスの御名を通して祈ります。アーメン。
(文責・月刊誌編集部)