「聖書が述べる人間像」雨宮慧氏(5/7)

この「善と悪を知る者に」という表現はメリスムスと言われる修辞法で、例えば「北は北海道から南は沖縄」と両極端を置くことによって全体を表す表現です。
つまり、ここでの「善と悪」は、文字通りの善悪の意味ではなく、知識の両極端を表す表現として並べられており、「全知全能になる」の意味だろうと思います。

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確かに蛇が言うように、食べると目が開きました。
しかし、その目が見たものは、神のように善と悪を知るものとしての自分たちではなく、裸であることがわかったということでした。全知全能になるはずだったのに、そうではなかった。
ですからこの話、不完全なものが完全になろうとしてなれないと分かったということだろうと思います。

さらに蛇について言えば、私たちの外にあって誘惑するものと私たちは考えます。
しかし、蛇は私たちの内にいるのではないでしょうか。つまり、蛇の特徴は

、神の指示は所詮束縛なのだ、という見方なわけですから。

だから、この三章は人間が本質的に「欠けている」という現実を非常に巧みに表現している部分だなと思います。
問題は、先のルカ18章9~14節の「ファリサイ派の人と徴税人」の譬えを振り返ると、その欠けをファリサイ派の人のように努力によって埋めようとするのか、それとも別の道があるのか、ということです。