「聖書が述べる人間像」雨宮慧氏(4/7)

人間の現実…原

このことは、原罪について、完成していたものが堕落したという捉え方についても言えます。
というのも、私は創世記3章の女と蛇のやり取りの文章を読むと、どうもそれは違っているような気が致します。

蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」…女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。(創世記3章1〜7節)

蛇は「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」と言いました。
そこでまず、その前の2章の神が語った言葉と3章2節の女の言葉の逐語的訳を見ていきます。(下図参照)

2章での神の言葉は「食べて 食べなさい」(マルa)、必ず絶対に食べなさい、という完了形の強い表現です。しかし女はそれを単なる未完了形「食べることが出来る」(黒マルa)に変えたのです。神が与えてくれた恵みの大きさを過小評価していると言ったらよいでしょうか。

また神の「死んで 死ぬだろう」(マルb)、必ず死ぬという表現を女は弱めて「あなたがたが死なないように」(黒マルb)と言い換えた。女の言葉は、日本語以上にヘブライ語の表現で考えますと、神の言葉からかなり離れています。
これは蛇にとっては絶好のチャンスなのです。
3章4節以降の逐語訳を見ると、蛇は神の言葉を逆さまにして(黒マルb)→(黒マルa)女を誘っています。

pb02ŒŽŠ§Ž1401_4102FA.indd